聲の形

映画版は「君の名は」とほぼ同時期に映画が上映されていたと思う。

その時は映画館で観なかったが、その翌年あたりにamazonレンタルで観て衝撃を受けた。

障がいやイジメという題材や後半の展開から強烈な感情とともに記憶に残っていたが、映画だけでは消化できない未解決な疑問があって、何度かそれについて考えていた。

 

主役である石田将也は、過去や現在に向き合うことによって、行動が変化している。石田将也との関係が深ければ深いほど、その人物も行動が変化していく。

ところが、植野直花だけはほとんど変化しない。

これは石田が植野に✕マークをつけていたからなのか、それとも別の理由なのか。

彼女は悪役として物語に存在しているようにも見えるが、観覧車のときの発言(と、声の表現)の意味を考えると、悪役ではないことがわかるように描かれているのは、どうしてなのか。

 

たまに映画を思い出したときにあれこれと考えているうちに、その疑問について仮説をたてていた。

 

観覧車の中で植野直花は、西宮硝子に聞き取れるように、ゆっくりとしっかりと大きな声で「対話」を試みている。

これは気遣いとかではなくて、真正面から話をしたいという気持ちがあらわれている。

もしも方向性が違っていたら直角から衝突することも厭わない。入射角を変化させてソフトランディングをすることなど考えていない。

その性格ゆえに、登場人物の中でもっとも過去と向き合っているのは植野直花だ。

もちろんその言動に問題がないわけではない。

植野直花だけがほとんど変化していないのは、最初から西宮硝子と「対等」の立場として対峙しようとしていたからだ。

 

映画だけではあくまでも推測だった。でも原作コミックスを読んでそのアンサーを得られたように思う。

川井は、原作を読んでも印象が変わらなかった。

行動があまり変化していないのは、石田将也との関わりが少ないから、というだけではなく、最後まで過去と向き合えていないだけだった。

そういう人間もたくさんいる。むしろそれが普通なのかも知れない。