『侍女の物語』の二次創作ドラマ。
シーズン1は、原作に寄せて作られている印象。シーズン2以降はオリジナル。
このドラマでの主人公は「悪魔」をモデルとしていると思われる。おそらく。
誰かをそそのかして、操作して、破滅に導く。ただ、一般的な「悪魔」との違いは、知性を感じず、計画性がなく、堪え性がなく、短絡的で浅はかなこと。
誰かから何かしてもらっても礼を言わず、自分の要求ばかり通そうとする。すぐに相手を見下し、常に自分優先で、身勝手。平気で誰かを危険を晒して自分だけ助かる。役に立つ・立たないで相手を評価する。協力者にまで毒を吐き、自分の都合通りに動かないと捨て台詞を吐く。実の子を連れ出すことしか頭になく、その後の計画がない。重要な計画や実行はすべて他人任せ。
カナダに亡命した旦那や友人も、デモで他人を動かすことしか考えていない。TVのニュースを眺めて「どうして海兵隊が動かないんだ」と言い放つシーンは、あまりに他人事すぎて悲しくなった。軍に志願したり、訓練を受けようという気持ちさえない。
ストーリーのアウトラインはぎりぎり崩壊していないものの、主人公以外の登場人物も情緒が常に不安定で言動や主義主張に一貫性がなく、ところどころ辻褄が合わない。
途中から侍女や女中の自由の制限が極端に緩くなった。制限されすぎると物語を動かしにくいのはわかるが、ご都合主義にすぎる。
現在の国家体制や移行についての掘り下げも不十分。特に、アメリカという広大な土地を治めている説得力がない。
他国の疲弊や衰退も限定的。その程度しか汚染が深刻化していないのなら、ギレアドのような国家は生まれていない。
物語の着地点を知りたくて我慢してシーズン3まで観たものの、ギブアップ。
『侍女の物語』は名作なだけに、本当に残念な気持ちになった。
それにしても、近年のアメリカにおける、女性が主人公のドラマは、妙な気持ち悪さがある。LGBTやらヴィーガンやらのポリコレ要素を、手当たり次第に組み込んでおけばいい、みたいな投げやりな雑さが目立つ。
いわば「ステレオタイプな多様性」。皮肉なことに。思考停止したレッテル貼りこそが多様性から最も遠いアンサーなのに。
