Doki Doki Literature Club!

非常によくつくりこまれた、感情をぐちゃぐちゃにされるゲーム。

予想できないストーリー、演出、絵、音楽。どれも素晴らしい。

途中、まるでバグったかのように見せかける演出があって、初プレイ時は戸惑った。
でもそのまま進めていくと、それが意図したものであり、意味があることに気づく。

中盤のストーリー転換から、エンディングを迎えた時の感情はうまく言い表せない。

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ノベルゲームは「かまいたちの夜」くらいしかプレイしたことがなかった。
いわゆる美少女ゲームはタイトルやパッケージで敬遠していたし、興味が惹かれたことがなかった。
食わず嫌いはしないようにしているが、とにかく今までは避けていた。

「ドキドキ文芸部!」は、多くのアワードを受賞し、とても話題になっていたから名前は聞いたことがあった。
どうして評価を得ていたのかプレイするまではわからなかった。

でも、これをプレイしたら、理解できる。

 

以下、ネタバレ含む感想。

ゲームという世界がモニカに与えた役割は、文芸部部長として主人公と部員たちのストーリーを進行するナビゲーター。攻略対象ではない。

キャラクターにとって、ゲームが世界のすべてであり、プレイヤーのいる現実の世界に強烈に憧れても、手は届かない。どれだけ主人公(を操作するプレイヤー)に想いを募らせてもそれが叶うことはない。

そんな彼女に自我が芽生え(ゲームでは「悟りのようなもの」と表現されている)、世界から与えられた役割に抗う。

もうひとつの与えられた役割である文芸部部長としての権限(アドミニストレーター)を行使し、自らの幸福を手に入れようとしてゲームを改変する。部員たちのデータやスクリプト(プログラム)を変更し、悲劇を生み出してしまう。

どうにかしてプレイヤーを振り向かせたい気持ちと、プレイヤーのことが好きだからこそゲームの世界を楽しんでもらいたい気持ちに葛藤する。

ストーリーを進行しながらゲームを改変していくうちに、他のキャラクターのデータをロードできなくする方法に気がつく。管理者としてシステムを制御できるようになっていく。そして、ついに主人公と2人きりの世界をつくることに成功する。

彼女はプレイヤーと2人きりになれて嬉しかった。隠し事をしないで、すべてを共有したかった。だから、その「方法」をプレイヤーに話した。そして、プレイヤーはモニカの存在(キャラクターを定義するファイル)に手を掛ける。

プレイヤーの行動によって、世界から彼女の存在が消えていく。キャラクターとしてではなく、システムの一部としての意識だけを残して。

彼女はどうしてこうなってしまったのか後悔し、罪を認知する。主人公と親しくなるはずだったキャラクターたちを残酷に壊してしまったこと。プレイヤーが望んでいたゲームの世界を破壊し、悲しい思いをさせてしまったこと。それが許されない行為であること。

プレイヤーの幸せを願い、彼女だけがいない世界を再構築する。皮肉にも、単なるナビゲーター役であり攻略対象ではない彼女がいなくなっても、ゲームは平和に進行していく。それをシステムの一部として見守る。

ところが、新たに文芸部の部長になったキャラクターも管理者となり結局は暴走する。

最後の決断。一生懸命に練習してきたピアノ曲に気持ちを綴って、世界を終わらせる。

 

ゲーム中に発生する例外 (Exception) は、キャラクターが消失したこと (File Not Found) というプログラム的な解釈もできるが、元のストーリーとしては想定していなかったから発生した例外という平易な解釈もできる。

OSコマンドを実行してファイルを削除するウィンドウを見せることによって、文芸部部長というロールが管理者権限を持っていることを暗示し、新たな文芸部部長にも管理者権限が付与されることを示唆する。

ゲームのプラットフォームの機能を悪用してプレイヤーを驚かせる手口や、ストーリー中の「メタな発言」によりゲームであることを意識させる手法は、Kojima production の作品を彷彿とさせる。つまり最高。

そして、そのメタな発言は、ゲームの世界(を演じるキャラクターたち)とプレイヤー(観客)を隔てる第4の壁を利用したトリックの伏線にもなっている。

 

凄すぎないか。

ゲームという舞台装置を使って表現できることの新しい可能性を示した、といっても過言ではないと思う。

とてもたくさんのアイディアが詰め込まれ、細部に至るまで、しっかりと、丁寧に、つくりこまれていて、製作者の圧倒的な熱量を感じることができる。