四月は君の噓(2016)

トラウマにより演奏中に音が聞こえなくなりコンクールから遠ざかった元・天才少年ピアニストが天真爛漫なバイオリニストの少女に出会う話。

原作は読んだことがない(存在を知らなかった)。原作ファンの同僚に勧められ、何となく鑑賞。

・・・想像以上におもしろかった。

細かいツッコミがいくらでも思いついた。が、そんなことはどうでもよいと思えた。

屈折した過去を持つ主人公の物語なのに、どストレートを放り投げる。言わばバッドエンドの物語なのに、不思議と後味は悪くなかった。

鑑賞後にWikipedia先生を調べてみると、けっこう重要なキャラクターの設定が思い切り変更されていたり、そもそも登場しなかったりするらしい。原作ファンがこの映画をみると、どう思うのか気になった。

何者(2016)

端的に言うならば「就活」に足掻く青年たちを描いた映画。

これも原作は読んだことがない。

ウワサには聞いていたけど、現代の就活ってこんな感じなのね、生きづらい世の中だよね、と思った次第。

映画が終わった直後は「え。どうしてこれを映画にしたの?」と思って、しばらくポカーンとしたのだけれど、数日経ってからもところどころ腹が立ってくる(要するに思い出す)わけだから、それなりに練られた話なのだろう。

「やりたいこと」と仕事は別だという考え方、「経験したこと」をそのまま仕事に活かせるという考え方、そのあたりがどうしても相いれない。

やりたいことをやればいい(できるように環境をつくっていけばいい)。会社だろうが、独立だろうが、カタチなんて人それぞれだ。どんなにカタチを気にしても、中身が空っぽだったら、続けられない。つくることより続けることのほうがずっとずっと難しくて大変だ。そして、諦めること、壊すことは、簡単だ。それなりの代償は覚悟しなければならないけれど。

経験したことは、そのまま活かせなくとも、思わぬときに活きてくる(だからこそ、何でも経験すればいい)。勝ちだの負けだの他人に評価を任せてないで、自分で決めればいい。他人が評価をするのは、何日後なのか、何カ月後なのか、何年後なのか。いつまで待つつもりなのか。待てるのか。他人のせいにする理由を後生大事に残しているようでは、幸運に恵まれない限り道はない。他人に期待していないで、自分で切り開けばいい。つくるだけならば、決して難しくないのだから。

本気になったことがある人間を描いて、どうしてそんなに「やすい」話になるのか。とにかく腹が立つ。

金メダル男(2016)

内村光良」という人間のパラレルワールドを描いたような話。

気楽に、たのしく、ところどころ軽く笑えることができる映画。

パティシエが練りに練ってつくり上げたスイーツではなくて、スナックのように気取らずに食べられるお菓子。

落ち込んだ気分のとき、こういう映画もとても大事なんだなって思う。